気づけば、父親の事業を手伝うことが、
いつの間にか私の日常の一部になっていた。
「やるか、やらないか」という選択は存在しない。
最初から、それは“やるもの”として置かれている。
その空気に逆らう、という発想すら浮かばなかった。
家の中に、説明や相談はない。
ただ、流れに身を任せるように、手伝う日々が静かに続いていく。
それが当たり前で、疑う余地はどこにもなかった。
やりたくない、と感じる瞬間は確かにある。
けれど、その気持ちをどう扱えばいいのかが分からない。
口にしても、受け止めてもらえる気がしなかった。
だから私は、「仕方ない」という言葉で、自分をなだめていく。
それは当時の私なりの、身を守るための工夫でもある。
けれど同時に、その「仕方ない」は、私の選択肢を少しずつ削っていく。
断るという行為を知らないまま、従うことだけが正しいように思えていた。
大人になった今でも、頼まれごとがあると、身体が先に反応する。
考える前に動いてしまうその癖は、あの頃の私が身につけた、生き延びるための方法だ。
私の“従う人生”は、
ここから静かに始まっていた。
